”これを達成したい人”と”こうありたい人”の違いについてと、その生き方における考察

さいきん人生とか生き方みたいなものを考える機会が多々あって、どんな人生にしたいのかを真剣に考えていました。そんなときには、偉人の随筆を読んだりしてみたのだけれども、ひとつ気づいたのは、ひとによって方向性が違うこと。

「人生のなかでなにがしたいか」という問いに対して、「これを達成したい」という目標をかかげるひともいるし、「こうゆう生活をしていたい」という状態について述べるひともいる。これらをここでは、”これを達成したい人”と”こうありたい人”と呼ぶことにする。

ちなみに、筆者は完全に後者の”こうありたい人”であり、人生における目標はたぶん30分くらいでコロコロかわってしまう。「あれもしたいな」「これもしたいな」ということをふわふわ考えながら、できるだけ思いついたら行動してみたい人生でありたいと思っている。

なので正直、”こうありたい人”が掲げるように、ある目標に向かって一直線にすすむことができないのだ。なぜならどこかその向かっている途中でちがう面白いものを見つけて、脱線してしまうことがおおいから。しかしながら、”こうありたい”というのは割としっかりしていて、自分のなかの美学のようなものにはできるだけ従っていたい。

そんなことを思った上で、”これを達成したいひと”と”こうありたいひと”の違いをわかりやすくまとめてみることにしました。お互い相手のことはあんまりわからないところがおおいと思うので、歩み寄ってゆけたらと思って。

1これを達成したい人と、こうありたいひとの違いと特徴

上記でも少し述べたが、最初に2人の人間をきちんと定義しようとおもう。

”これを達成したい人”  人生のなかで、これという明確な目標があり、それに向かって逆算して行動することができる。そのため、逆算の最中は寄り道はほとんどせず、(方法は変わるかもしれないが)、あるゴールにむかっていくということはかわらずに向かっていけることがおおい。

”こうありたい人” これを達成したという明確な目標はなく、それよりもどんな生活をおくっているか、自分がどんな人であるかに意識をむける。なので、対象物はよく変わるが、それに向き合う姿勢などについてひとつの理想があることがおおい。

こんなふうに定義してみたところで、詳しくみていこうと思います。

2これを達成したい人は、目標から逆算して行動できる

“これを達成したいひと”

Vision型とも書いたけれど、この型のかたは、ゴールが明確であるようにおもう。たとえば、自分が成し遂げたいことをきちんと言語化できていたり、はたまた実際の物事や状況に落とし込めたりする。

たとえば、これはとても個人的な意見だけれど、ちいさいときから「野球選手になりたい」「医者になりたい」と自分でも意識をもって思い、それを成し遂げてしまった型などはこのような型なのではないだろうか。

そして、明確な目標を決めた上で、そのために必要なステップを逆算して行動することができる。おそらく、目標が明確であればあるほど、それまでの行動指針も明確になるだろうし、なりより適切な努力を積み重ねることができる。

3こうありたいひとは、内容ではなく環境を大切にする

こうありたい人

一方、”こうありたい人”はどうだろうか。彼ら彼女ら(私も含む)は、とおくの大きな事象よりも、目の前の居心地の良さみたいなものにもっと価値を置いているのではないだろうか。

わかりやすくゆうと、「なにを仕事にするか」ではなく、「職場の環境はどうか」を気にするタイプなのではないだろか。ものごとの対象ではなく、その接し方のほうが大事なのだ。

そうして、なんとなく居心地がよいで集まったものをどんどん集めていくように、たまに一見脈絡のないみちをたどっていったりする。いわゆる、流れに身をまかせるとはこんな感じなのではないだろうか。

4どちらかなのかを見極めて、自分にあっていないアドバイスを飲み込みすぎないことも大切ですよね。

ここまで書いてみて、言いたいことは、「別の型のお話を、鵜呑みにしないこと」な気がしています。どっちも素敵で、どっちも素晴らしくて。でも大抵のひとはたぶん、自分の型や性格ってそこまでかわりません。

だからこそ、「わー目標もたなきゃ」とか「わーもっと柔軟にならなきゃ」とかは思う必要がなく、なんだか他の型のかたがいるのですね、ということを認識できればみんなハッピーだなあということをおもいました。


ほかにもいくつか関連した記事をかいています。


いいねやシェアしてくださると、更新の励みになります!